低学年から中学年の大切さ~高学年から指導を始めても遅い時がある~

皆さん、おはようございます。

平日の早朝、いかがお過ごしでしょうか。

私は朝から、家事を終わらせて今に至っております。

朝ごはんの準備、早めに夕飯の準備(本日は唐揚げです)、ごみ捨てなどなど、

今、一段落というところでしょうか。

さて、今日は、久々に仕事の話をしたいと思います。

 

タイトルにもある通り、

低学年から中学年の大切さについて話したいと思います。

低学年や中学年、みなさんはどんなイメージでしょうか。

私の中では、新採用の方や比較的、若い先生方が持つイメージがあります。

一方で、高学年になるとベテランの先生が持つ方も多いのではないでしょうか。

あながち間違いではないのですが、最近、感じることは

低学年、遅くとも中学年までには、クラスとして学年としてある程度、

まとめておかないといけないイメージです。

それは、例えばですが、問題行動を起こしやすい子ども、

支援学級には入らないけど、離籍が目立つ子ども、

こんな子どもたちを通常学級の中である程度、みなと揃えていくためには、

やはり、期限があるのではないかと思うところです。

 

これは、高学年を持った際に感じたことですが、

変わり目(荒れている学級を正していく)を持つ際には、

やはり下の学年ほど子どもたちに染み込ませやすいのが自分の中での肌感覚です。

高学年では、どうしても型にはまってしまっているので、

どうしても変化が効きにくい気がしています。

できることも限られている感じです。

それ以上に自分が力をつければよいのですが、

一人の人間ですので、できることにも限りがあります。

 

現在の学校運営では、下の学年を若い先生方にという風潮がありますが、

やはりここは、ベテランを下の学年において、形にした状態で

高学年にあげた方が良いのではないかと思うところです。

 

まあ、私も担任というプレイヤーでしかた、職場を経験していません。

これが教頭や校長になるとまた違った景色なのかもしれません。

でも、これだけは言いたいのが、

何年も崩れていると立て直すのに同じくらい時間がかかるということ、

変わり目を持つ先生の苦労は凄まじいものがあるということ

これだけは言いたいと思います。

 

変わり目をたくさん経験して、かつ乗り越えていくと

本当に自信につながりますが、やはり、周囲をみると

しなくても良い苦労だったかもしれません。

でも、そんな苦労が人生を彩り、豊かにしているのかもしれません。

その都度、考え、しなやかに強くなっている気がする今日、この頃です。

トータルでは、教員という仕事に感謝が多いですからね。

これを言い切れているだけでも良いのかもです。

 

長くなってしまいましたが、今日はここまで。

ではではー